なぜニューギニア島は半分に分けられたのか?【ゆっくり解説】
この動画で学べること
植民地時代の三分割:19世紀末、島は西がオランダ領、東の北側がドイツ領、南側がイギリス領に分割。のちにイギリス領はオーストラリア準州へ、第一次大戦後は旧ドイツ領も国際連盟の委任統治でオーストラリア管理下へ。愛知県国際交流協会/歴史の窓
現在の国境線の“基準”:陸上国境の大半は東経141度線。ただしフライ川・ベンスバック川周辺で川筋に合わせて屈曲する区間があり、「一直線」ではないことも押さえます。海上境界も複数の協定で画定。
東西それぞれの帰趨:西半分(旧オランダ領ニューギニア)は、戦後の移管交渉と住民投票(1969年の「自由選択行動」)を経てインドネシアに編入。東半分はオーストラリアの信託・準州を経て1975年にパプアニューギニアとして独立。歴史の窓
前へ
【金融システムの転換点】日本初のステーブルコインJPYCとは何なのか?
次へ