| 2026/02/01

イギリス国王が象徴的な存在へと転落した本当の理由

この動画から学べること

この動画では、イギリス国王が絶対的な権力を失い、議会に主権が移っていった激動の歴史について、以下のポイントを深掘りしています。

  1. 宗教と銭(カネ)の対立:チャールズ1世の暴走

    • 17世紀、王室が「イギリス国教会」を強制したことで、ピューリタン(清教徒)やスコットランドの反発を招きました,。さらに、度重なる戦争による財政難と、議会の同意なき課税が、王と議会の対立を決定的なものにしました。

  2. 清教徒革命と国王の処刑

    • 議会派のオリバー・クロムウェルが台頭し、内戦(イングランド内戦)で王党派に勝利します。その後、クロムウェルは「今後、王が政治的安定の脅威になる」と判断し、チャールズ1世の処刑を断行。イギリスは一時的に共和国(実質的な軍事独裁)へと移行しました。

  3. 王政復古から「名誉革命」へ

    • クロムウェルの死後、厳格すぎる統制への反発から王政が復古しますが、ジェームズ2世が再びカトリック優遇策をとり議会と対立します。これに危機感を抱いた貴族たちは、オランダからウィリアム3世とメアリー2世を招き入れ、無血クーデター(名誉革命)を成功させました。

  4. 「権利の章典」と民主化の波

    • 1689年の「権利の章典」により、課税権や軍の統帥権が議会へ移譲され、国王の権限は法的に制限されました。さらに産業革命による資本家階級の台頭が、君主の権力をさらに縮小させ、現在の「象徴天皇制」のような形へと定着していきました。

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