なぜ、1000年続いたローマ帝国は滅びたのか?
この動画から学べること
本動画を視聴することで、世界帝国ローマがどのように誕生し、どのようにして滅亡に至ったのかを、主要な歴史の転換点を通して深く理解することができます。
1. 共和制から帝政への移行の法則
ローマの成功そのものが社会の格差を生み出し、軍隊が有力者の私兵と化す「内乱の1世紀」がどのように発生したかを学びます。
ユリウス・カエサルの独裁が招いた悲劇的な失敗から、後継者オクタビアヌス(初代皇帝アウグストゥス)が共和制の伝統を尊重する建前を利用し、「プリンキパトゥス(元首政)」という巧妙な政治体制を築き上げ、帝政へと軟着陸させた経緯が分かります。
2. 平和と繁栄の時代「パクス・ロマーナ」の秘密
約200年間続いた奇跡的な安定期、「パクス・ロマーナ(ローマの平和)」を支えた圧倒的な軍事力、高性能なローマ街道などのインフラ整備、そして属州の文化や慣習に寛容な統治(ローマ市民権の付与)の要因を理解できます。
マルクス・アウレリウス帝までの五賢帝時代が、血筋による世襲制の愚かさを避け、最も有能な人物を養子として後継者に指名する養子相続制を採用したことで、安定した統治を実現した事実を知ることができます。
3. 帝国を崩壊寸前に追い込んだ「3世紀の危機」
五賢帝時代の終焉後、わずか50年で26人もの皇帝が入れ替わった大混乱時代(3世紀の危機)の原因が、ゲルマン民族の侵入やサーサーン朝ペルシアの勃興による防衛費の増大、それによる悪性インフレ、そして軍団が司令官を勝手に皇帝に擁立する軍人皇帝の乱立という複合的な問題であったことを把握します。
4. 帝国の延命と大転換
ディオクレティアヌス帝が「ドミナートゥス(専制君主制)」を導入し、皇帝を神聖不侵の専制君主として再定義した点や、広大すぎる帝国を効率的に統治・防衛するための「テトラルキア(四分統治制)」の導入を知ります。
コンスタンティヌス帝が、政治的計算に基づき、弾圧の対象であったキリスト教を公認したこと(ミラノ勅令)、そして帝国の重心を東方に移し、首都をコンスタンティノープルへと遷都した重大な決断について考察します。
5. 西ローマ帝国の滅亡
帝国が東西に最終的に分裂した背景に、豊かな東側と疲弊しきった西側の間に生じた埋めがたい経済格差があったことを理解します。
フン族に押し出される形で発生したゲルマン人の大移動の波に対し、弱体化した西ローマ帝国が対抗できず、傭兵隊長オアケルが最後の皇帝を退位させ、静かに滅亡を迎えるまでの経緯を追います。